施餓鬼とは何だろうか。 (その2)

7月21日に行なったお施餓鬼の写真を載せたいと思います。

 

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再び、

 

施餓鬼について、

また調べてみました。

 

 

施餓鬼会とは、現在ではお盆を前後して行うことが多く、その意味は文字どおり、餓鬼に施す法要です。
餓鬼は法(教え)と食べ物に飢えていますから、この法要で法を述べ伝え(お経を読み)、食べ物を布施することで、救われていくわけです。

 


この施餓鬼会の起源は、お釈迦さまの十代弟子の一人である阿難(あなん)というお坊さんが体験したことから始まります。
十代弟子といっても、まだ悟りが浅いころの話です。
阿難があるとき瞑想していると、目の前に餓鬼が現れて、

 


「お前は三日後に死んで、餓鬼道に生まれであろう」
といわれました。
恐れおののいた阿難は、
どうすればいいかお釈迦さまに尋ねました。
するとお釈迦さまは、こう答えました。
阿難よ。
餓鬼の世界は、自分のことばかりを考え、
人に財や愛、優しさを与えようとせず、
奪うことばかり考えて生きたものがいく世界だ。
阿難よ。
お前が餓鬼にそのようなことを言われるというのは、
お前自身、布施という与える心が少ないからであろう。
今阿難のすることは、心に慈悲の心をおこし、
有縁無縁のすべての餓鬼に食べ物を施し供養してあげることです。
それを法の力(お経の力)によって、手向けなさい。
そのために多くのお坊さんの力をかりるのです。
阿難はいわれるように行い、
自らも熱心に法を学び、布施の心を培い長寿を得ました。

 


これが施餓鬼会の起源ですが、お盆にあたって、まず供養する本人がよく法を聞いて布施という与える心に目覚めることが大事です。
そして実際に法要にのぞんで、無縁の餓鬼に施しをし、その尊い思いをお経の力によって亡き方に手向け(さしあげ)るのです。
それが亡き方の功徳になって、ご先祖さまがお盆には安らかな思いで、我が家に帰ってくることができるわけです。